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ご先祖と共に生き、供養を
自分らしく生き切る力に変える。
「御祖祭」
「墓じまいは、ご先祖様に申し訳がない」
「生前にもっと親孝行をすればよかった」

まだ、間に合います。
受け継いだ命を悔いなく生ききる
時空を超えたカタルシス 御祖祭

「助けて」ということが供養になる

墓じまいは、ご先祖に申し訳ない。
生前に、もっと親孝行をすればよかった。
残された人生を、このままで終わらせたくない。


そんな思いを抱えている方へ。

先祖は、ただ「供養してあげる存在」なのでしょうか。私たちは、そうは考えていません。

先祖に、「ありがとう」と伝える。
そして時には、「助けて」と伝える。


先祖の存在を力にしながら、
今を生きる自分自身が、人生を悔いなく生き切る。

それが、
真の先祖供養

御祖祭(みおやまつり)

です。

このようなお気持ちはありませんか?

お墓を維持することが難しくなり、
墓じまいを考えているけど、
ご先祖様に申し訳ない気持ちがある。


亡くなった親に、もっと親孝行したかった。

約束もあった。してあげたかったこともある。

人生の後半に入り、

人生これでいいのかと振り返るようになった。
残された時間「自分らしくありたい」と思う。

一つでも心に触れるものがあれば、御祖祭が
人生の流れを変えるかもしれません。

御 祖 祭とは?

御祖祭とは、作法や儀式を増やすことではありません。
二人三脚で生きる先祖とのコミュニケーションです。

これまでの供養は、
生きている私たちから先祖へ、
感謝や祈りを届けるものとして行われてきました。


御祖祭では、先祖と私たちは
「双方向」の関係だと捉えています。

そのため、
今を生きる私たちは、先祖へ

困った時には相談していい。
力を貸してほしいと頼んでいい。
人生の出来事を聞いてもらっていい。
時には弱音を吐いてもいい。


供養を一方通行ではなく、
「先祖と子孫のコミュニケーション」

として捉えます。

きっかけは「親孝行できなかった」後悔

このサイトの案内役である私、佐久川清壱朗の個人的な体験をどうぞ聞いてください。

私はなにも既存の先祖供養に飽き足らず、
供養を極めたかったわけではありません。

御祖祭のきっかけは、亡くなった母への後悔でした。

私は母が大好きでした。
私にとって「守り神」のような存在でした。


母が亡くなったあと、私は
親孝行ができなかったことをとても悔やみました。

もっと話をすればよかった。
もっと喜ばせたかった。
もっと一緒にいればよかった。

しかし亡くなってしまった以上、
親孝行はできない、そう思っていました。

ところが、関係は終わっていません。

そのことを私に教え、「真の先祖供養」へ導くことになったのが、石川大智氏でした。

天国おじい

大智さんの背後には、もう一人の存在がありました。
すでに亡くなっていた、母方の祖父。

私たちが、 「天国おじい」 と呼ぶ存在です。

大智さんは天国おじいから、命の本質について、さまざまな情報を受け取っていました。

そして受け取った言葉や気づきを、
ただ「ありがたい話」として聞くのではなく、
自分の選択を変え、行動を変え、
人生を前へ進める力としていました。

今振り返れば、それ自体が
「御祖祭の原型」だったと思います。

先祖を「供養してあげる」のではなく、
先祖の存在を、自分が生きる力とする。

私は大智さんを通して、
初めてそんな先祖との関係性に触れました。

そうやって私自身もまた、天国おじいの教えを実践し、単なる不思議な話としては片づけられない体験を重ねました。

亡くなった人にも話しかけていい

私は毎日、母に話しかけました。
まず、「親孝行がしたい」と訴えました。

もちろん最初は、一方的に話しているという感覚でした。しかし毎日続けていると、「対話が成り立っている」と考えることが合理的に思えてきます。

私は答えを声として聞くことはありません。
何気ない出来事を通して「ああ、そういうことか」と気づいたり、昔の母の言葉を思い出す中に答えを見つけるようになりました。

また何十年ぶりかで見るようになった夢に、答えが描かれることもあります。

それは鮮明だったりボヤけていたりしますが、しかしその濃淡を埋め合わせる自分の思考がまた、別のひらめきを産んだりするのです。

私にとって、それは十分に「対話」であり、クリエイティブな時間であり、かけがえのない習慣になりました。

また、母に問いかけたことの答えが、しばしば大智さんを介して天国おじいから届くこともありました。

そうやって先祖供養に対する私の考え方は、すっかり変わりました。

困った時には助けを求め、人生を相談し、その力を借りながら共に生きていく存在。


そして、その先にもう一つ、
とても大きな発見がありました。
それは――。

先祖の無念を、ギフトに。

人生の最終盤に、多くの人は何かしら後悔の念を口にするとい言います。

私たち先祖の人生にも、
やりたかったのに、できなかったこと。
伝えたかったのに、伝えられなかったこと。
愛したかったのに、愛しきれなかったこと。
生きたかったのに、生きられなかったこと。

そんな「無念」があったことでしょう。

御祖祭では先祖の無念を、子孫が苦しみとして相続するものだとは考えていません。もちろん、そのままだと負の側面でしかありません。


しかし、それこそが供養で、「共に養う」ことでギフト(可能性)に変わり得るのです。

先祖と私たちは、一続きの連続した命です。
先祖から受け継いだ無念は、現在を生きる自分の中に見つけることができます。

それが、生きづらさの正体です。

でももう、私たちは一人ではありません。
先祖と共に生きる選択肢があることを知りました。

だから、
「先祖が果たせなかった分まで」という発想ではなく、
「先祖の人生を受け取って、自分の人生を生き切る力に変える」こと。

それが御祖祭が考える供養の本質です。

先祖供養は「自分供養」

先祖のために、自分を犠牲にする必要はありません。
それこそ「バチ当たり」に他なりません。

受け継いだ命を使い切る。
やりたいことをやる。
愛したい人を愛する。
自分だからできることをする。

そして最後に、「この人生でよかった」と言える人生を生きる。絶対に生き切ること。

私たちは、それこそが、
先祖から受け取った命に対する。

最大の恩返しではないかと考えています。

だから、
先祖供養とは自分供養
にほかなりません。

それが、御祖祭が考える先祖供養の本質です。

[御祖祭が生まれた創始ストーリーを読む]

よくある質問
御祖祭は宗教ですか?

いいえ。御祖祭は、特定の宗教への入信や信仰を求めるものではありません。私たちが大切にしているのは、「先祖との関係を、自分の人生をよりよく生きる力にしていく」という考え方です。 宗教を信仰している方も、していない方も、ご自身の考え方を尊重しながら取り組んでいただけます。

霊感がなくてもできますか?

はい。御祖祭では、霊が見えたり、声が聞こえたりすることを必要条件にしていません。亡くなった親や先祖に話しかける。問いを持つ。その後、自分の中に浮かんだことや、日常の中で気づいたことを丁寧に受け取る。それも一つの「対話」と考えています。大切なのは、特別な能力よりも、自分自身の感覚に素直であることです。

本当に亡くなった人と話せるのでしょうか?

御祖祭では、「必ず声が聞こえる」「先祖から必ず返事が来る」と断定することはしていません。私自身は、亡き母に問いかけ続ける中で、ふと思いついたことや、人との会話、出来事などを通して、「答えを受け取った」と感じる経験を重ねてきました。それをどのように捉えるかは、その方自身に委ねています。大切なのは、対話を通して、自分の人生にどんな気づきが生まれるのかだと考えています。

先祖を信じていなくても大丈夫ですか?

大丈夫です。最初から御祖祭の世界観をすべて信じる必要はありません。「もしかしたら、こんな捉え方もあるのかもしれない」その程度でも十分です。実際に自分で問いかけたり、人生を振り返ったりしながら、自分にとって意味があるかどうかを確かめてください。

先祖や親を尊敬できません。それでもできますか?

できます。御祖祭では、「先祖だから敬わなければならない」とは考えていません。親との関係が悪かった方もいます。傷つけられた経験がある方もいます。許せない気持ちが残っている方もいるでしょう。それを無理に「感謝」に変える必要はありません。まずは、本当は自分が何を感じているのかを認めるところから始めます。

 「先祖の無念を、ギフトに。」とはどういう意味ですか?

先祖にも、やりたかったのにできなかったこと。伝えたかったのに伝えられなかったこと。生きたかったのに生きられなかった人生があったかもしれません。

御祖祭では、それを子孫が負の遺産として背負い続けるのではなく、「今を生きる自分の人生を成長させる燃料変える」に考え方を実践していきます。

先祖の人生から受け取ったものを、自分自身の選択や生き方に反映させる。そうすることで、無念を「自分を縛るもの」ではなく、人生を前へ進める力に変えていく。それを私たちは、「先祖の無念を、ギフトに。」と表現しています。

先祖が果たせなかったことを、私が代わりにやるのでしょうか?

いいえ。ここは、とても大切なところです。御祖祭は、先祖の人生を代わりに生きるためのものではありません。先祖が医者になれなかったから、あなたが医者になる必要はありません。先祖が結婚できなかったから、あなたが結婚しなければならないわけでもありません。先祖の人生を知り、そこから何かを受け取り、あなたは、あなた自身の人生を生きる。それが御祖祭の基本です。

人生がうまくいかないのは、先祖の影響なのでしょうか?

何でも先祖のせいにする考え方はせず、「仕事がうまくいかないのは先祖のせい」「結婚できないのは家系のせい」といった断定もしません。先述のとおり御祖祭では、先祖の無念を自分の人生を成長させる燃料にしていきます。先祖や家族の歴史は、自分自身を理解するための一つの視点です。大切なのは、今の自分の中に何が残っていて、それが現在の選択にどう影響しているのかを見ることです。主役は、今を生きている私たちですから。

墓じまいをしても御祖祭はできますか?

はい。むしろ、墓じまいをきっかけに御祖祭を知っていただきたいと考えています。お墓は、先祖を偲び、家族をつなぐ大切な役割を担ってきました。しかし、お墓を閉じることと、先祖との関係を閉じることは同じではありません。墓じまいをした後も、先祖に話しかけ、感謝し、相談しながら関係を続けることはできます。私たちは、「墓じまいを、関係じまいにしない」ことを大切にしています。

仏壇や位牌がなくてもできますか?

できます。御祖祭にとって最も大切なのは、特定の場所や形式ではありません。亡くなった親や先祖を思い、話しかけることは、どこでもできます。仏壇の前でも、お墓でも、自宅でも、散歩をしながらでも構いません。形式よりも、どんなコミュニケーションを継続するかを大切にしています。

亡くなった親に、何を話せばいいのでしょうか?

特別な言葉は必要ありません。「今日こんなことがあったよ」・「いま少し困っている」・「どう思う?」・「ありがとう」そして時には、「助けて」でも構いません。生きていた時に話していたように、そのまま話してみてください。御祖祭では、きれいな言葉よりも、本当の言葉を大切にしています。

個別相談では、霊視や先祖鑑定をするのでしょうか?

御祖祭の個別相談は、霊視や霊能鑑定を目的としたものではありません。「あなたの先祖がこう言っています」と一方的に答えを伝えることも基本的には行いません。親や先祖との関係、現在抱えている悩み、人生で繰り返していることなどを伺いながら、あなた自身が、自分の人生をどう生きたいのかを一緒に整理していきます。

個別相談では何を準備すればいいですか?

特別な資料は必要ありません。分かる範囲で、親や祖父母について知っていること、印象に残っている家族の出来事、現在気になっていることなどをお話しいただければ十分です。家系図がなくても問題ありません。「何を相談すればいいか分からない」状態でも大丈夫です。そこから一緒に整理していきます。

御祖祭をすると、人生は必ず好転しますか?

「必ずこうなる」という保証はしていません。御祖祭は、願いを自動的に叶える方法ではありません。ただ、先祖や家族との関係を見つめ直すことで、自分が何を恐れ、何を大切にし、本当はどう生きたいのかが見えてくることがあります。その気づきが、選択を変え、行動を変え、結果として人生の流れが変わるきっかけになると私たちは考えています。

御祖祭に向いていない人はいますか?

います。自分の人生についてまったく向き合う気がなく、「先祖にお願いすれば全部なんとかしてもらえる」という答えだけを求めている方には、御祖祭はあまり向いていません。先祖への特別な信仰心は必要ありません。ただし、自分自身に素直であろうとすること。それだけは、とても大切にしています。

まず何から始めればいいですか?

まずは、亡くなった親や、ご自身の先祖を一人思い浮かべてみてください。そして、今いちばん伝えたいことを、そのまま話しかけてみる。そこが御祖祭の最初の一歩です。さらに、「自分の場合はどう考えればいいのだろう」・「家族のことを一度整理してみたい」と思われた方には、個別相談をご用意しています。

先祖の無念を、あなたの人生を生きる力へ。

真の先祖供養
御祖祭(みおやまつり)とは

あなたが天命を生きられるよう先祖がたすけ
あなたが天命を生きることで先祖が安堵する
時空を超えた「コミュニケーション」です。